2021年夏、雑感

私見

お久しぶりです。ここ静岡県も梅雨明けとなり、猛暑が続いております。先日起きた土石流災害の熱海市もここから近く、被害に遭われた方そして突然大事な方を失われた方々に、心からお見舞いとお悔やみを申し上げます。

原因究明や今後の対策報道を見るにつけ、それは大事なことですが、絶望と途方に暮れた方々のその気持ちとは温度差があるなぁと、いつの災害時にも思うものです。

また酷暑の中、手作業で救出に当たっておられるあらゆる方々には敬意を表する思いです。

さて、
五輪開会式の音楽担当の小山田さんという方の話題を耳にしました。

ダメです。アウトです。

薬物経験がありましたという話とは訳が違います。
相手方のある話です。最も卑劣な、人を人と思わない行為です。

今、作品に罪はないんじゃなくて、罪に対するその人間の真摯さの問題が透けて見えるのです。

消えることのない罪を自覚するならば、依頼のあった時点でこの話にもっと向き合い、対話すべきでした。本人も依頼する方側もね。
「知りませんでした」では通らない。

それほどデリケートな事だし、五輪という大きなイベントなのですから。

政府の、コロナや五輪開催についても同じこと。利権とそれに対するニーズさえあれば、都合の悪いことはいとも簡単に無かったことにし、都合のよい解釈ができてしまう。

しかし、これが世の中、これがこの世界。

それを受け入れ自分はどうありたいか、それが大事だと私は考えます。

さてさて話が長くなりましたが、短文をいくつか載せてみます。お読みくださいませ。

・・・

●依存症は、ただ禁止すればいいという話でもない。

快楽ばかり欲しがっているようでも、実は寂しいってことを押さえ込んでしまっているから。

だから、禁止はしなくていいから。

そして寂しさが理由なんだとちゃんと触れること。自覚すること。

●癇癪の対応に失敗した子育ては、その子供を不幸にする。
それが親がした子育ての1番の怠慢である。

●自分の世界観からの意識でいないと現実はついてこない。
いくら頑張っても、自分の流儀でなけりゃ清々とは生きれない。

● 死ぬことより怖いことは1人になること。孤独は1番の敵。だから死にたくなる。

●執着と傲慢
執着の裏側には愛しさがある。
執着の裏側には寂しさがある。
それ故に切なく、なかなか手放せるものではない。
そして執着の本体は傲慢である。
だからしがみつく程に苦しさも増す。

傲慢…人からすればただの我儘にみえるその内側には、実は行き場のない寂しさが、他人に向けた八つ当たりとなっている。
その心は、まるで成仏できない魂が幽霊となって訴えかけ、誰かに救いを求めているかのように。

執着とは、思いを遂げられずしがみついてしまう心。そして傲慢とは、執着に駆られ自分を見失った心の暴走。

どちらも安らぎを求めて彷徨っている。

・・・今日はここまで

暑い日が続きますので、ご自愛ください。