支配との戦い(ウクライナ)

ウクライナの惨状は対岸の火事ではない。そう感じる世界がここにある。

何故これほどまでに人は戦うんだろう…1人の支配者から始まる殺戮の歴史がなくならず繰り返されるのは、私達が心を持つ人間だからだろうか。

支配者の横暴に対して、死んでまでも屈したくない心が、その自由を守るため戦う。「命こそが大事」という鉄板がいとも簡単に崩れ、人々は武器を持ち戦う。屈服した世界に生きる意味などないことを、この戦争という形は示している。

香港・ミャンマー・アフガニスタン…どこの町でも同じなんだよね。支配に立ち向かい自分達の主権を回復すること、それがそこで生きる人間にとって何より大切なんですね。

あるとき、人間の心に棲む恐れは、自分より豊かで自由な心を妬み、潰しにかかる。
心の怯えは他からの承認を欲し、富や名誉それから権力を手に入れ、ゆっくりと他人の心を意のままに支配することをしかける。

人の心を潰すためならのその手段は選ばず無差別な殺戮に向かう。その結末は遅かれ早かれ自滅に向かうのだけれど、後に残された人々の傷は癒えず失われた命は戻らない。

世界は残酷…

しかし、敵は「国」ではなく「人」でもなく「人間の心に棲む恐れ」なんだな。

人はどうして戦うのだろう。
命より大切なものはあるのだろうか?
その答えは当事者にしか分からず故に安易な意見を言ってはいけない。

だけどこの構図は家庭内においても起こること。起きていること。

世界は残酷
人間は残酷なんだよね…

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