改めて「ACからの脱却」について

カウンセリングの現場においてACへの理解は多くのケースで避けられない。その中で親の話をする意味とは、親を正しく理解し、親の価値観から自立できることにあります。

先ず主観的に親を語り、次に客観的に検証する。しかし大概の場合、自分の「主観」がはっきりと分からず、それに気付くことからが始まりとなる。

「主観」とは「あの時の自分は本当はどう思っていたのか」という正直な気持ちです。

子供時分に嘘をついていた訳でも誤魔化していた訳でもないのに、そして虐待されてた訳でもない筈?なのに、なのに自分は何故こうも生き辛いのか。その疑問の答えが自分の主観を見つけることにあります。

多くの場合、親に対する我慢や不満それから寂しさなんかが徐々に出てきて、親に怒りをぶつけたり恨んだりしたくなります。それは自然なこと。だけど、それが終点ではありません。

自分はその時、親から何をされたかったんだろう…?また、どうされるべきだったんだろう…?と、そういう自分の気持ちと親の言動とのギャップや整合性を今の自分が客観的に検証してみる。そこからが始まりです。

怒りや憎しみの発見はとても大事なことです。が、その後に控える客観的な見方を今の自分が掴めること、それが親からの脱却であり自己の確立に繋がります。