メンタルヘルスの大切さ
こうしてメンタルはやられる
最近よく耳にするメンタルヘルスという言葉。心理・カウンセリング界に於いては馴染みのある言葉なんですが、このところ、テニスの大坂なおみさんの鬱公表からの発言や、米国体操五輪選手のシモーネ・バイルズさんのメンタルヘルスによる競技棄権の話題もありましたね。
メンタルヘルスを理由にするということは一昔前にはあまり見られず、まして周りからは許され難いことでした。ようやくメンタルヘルス発言が認知され始めたのかなぁと、そんな風にも思います。
コロナ禍も1年半が過ぎ今やデルタ株による第5波真っ盛り。何度もの緊急事態宣言や蔓延防止などの発令と、収まる気配はありませんね。そんな中、「流石にメンタルにきてます」「メンタルがおかしくなってきました」と口に出される方が増えてきました。
コロナ不安はもとより自粛やテレワークのうちはまだしも、更なる行動制限と飲酒や外出などのお楽しみの規制でストレス発散できず。
自粛警察の数も増え、風評を恐れお店は閉まる。個人の経済も逼迫、家庭内でもマスク⁈…いつまで続くの?と思えば、まぁストレスの出口を止められますよね。
人は、自分で決めれるうち、つまり自分が自粛など自己決定で行動しているうちはいいんです。また、居酒屋などの飲酒場所などを止められても、公園や路上などでしたいことができる人は、それが世間的にどうかは別としてメンタルはやられません。しかしそれも止められる状況になった時、ストレスの出口がなくなった時にメンタルをやられ始めるのです。あ、そうですね、自分の気持ちに忠実な人より、周りに気遣う生真面目な方のほうがメンタルはデリケートなんでしょうね。
コロナウィルスに感染するメカニズムに置き換えてみますね。
ストレスをウィルスとみなした時、例えばひとつの部屋にウィルス保菌者と健康な人がいたとしましょう。窓が空いていて換気が十分であれば、健康な人のメンタルは保てます。が、窓を閉められ換気のない場合、ウィルスが健康な人の体の中に侵入するのは時間の問題。すると健康な人の体は蝕まれる、つまりメンタルがやられるということになるのです。家族内におけるメンタル崩壊の仕組みも同じです。毒親に気付かずにその毒が自分のメンタルに侵入する。親の毒はその子供にとってはスーパースプレッダーなんでしょうね。
メンタル…精神、これがやられるにはそれなりの理由と時間はかかるものです。そして誰にでも起こりうるものです。
外的要因によって自分の中に負荷がかかり、それがストレスとなる。ストレスが排出されている間はいいが、出口を止められたり疲労や諦めから溜まる量が多くなるとなす術がなくなる、制御不能となる。そしてそれが正常な部分を蝕んでいくことでメンタルの崩壊が始まるのです。
メンタルヘルスは大切です。このコロナ禍や昨今の人間関係の中ではストレスは溜まりやすいですね。
正常なメンタルヘルス。それはストレスがないことではなく、ストレスが溜まってもその流し方を分かっていることだし、そのストレスの正体を把握していることです。
強さよりしなやかさ。ほら、風邪もひかない丈夫な身体作りより、風邪をひきそうな時、或いは風邪ひいても慌てずにその対処法が分かっているほうが、生きやすいと思いませんか?
…とそこで残るコロナ不安…対処法も分からない今なので不安が払拭できないのが真実。だからと言ってワクチン接種や五輪開催が国民に希望を与えるなんて豪語してるだけの政治家がトップでは堪らない…少なくとも不安を希望にすり替えた期待論や自主性を促す嘆願は無責任。政治力は決断力、それに伴う説明力が必須なんだと思います。
はぁ…モヤモヤしますねぇ。