独裁の基で人は育たない

ロシアによるウクライナ侵攻、戦争でなく特別軍事作戦と呼ぶロシア。世界からは、スターバックスやマクドナルドなど企業の撤退や経済制裁、輸出入規制、そして厳しい非難を浴び、益々の孤立を高めていますね。

だけどロシア国民にとっては自国こそが正義。自国内にいる限り不自由はなく、どこか優越感さえ持てているよう。

しかし正義という名の基で育った価値観だけでは、他国の人々と相容れず、摩擦やすれ違いは起きやすい。

「正義イコール悪」という話ではありませんよ。ただ正義の名の元では一極独裁になりやすく、独裁の中にいるほど自由は少ない。従って自ずと自分の価値観も凝り固まっていき、自分の心の領土は限りなく狭く息苦しくなる。結果、人との関係に支障は出るということです。

だけどロシアのような地位や経済力でもあれば、孤立しようがそれは強さの象徴でもあり、崩壊の危機は少ないどころか更に強固な価値観を育ててしまう。

そもそも世界(社会)には多くの異なる価値観があり、それぞれの主張があります。それを自分が持つこと、そして相手のそれを尊重すること。この両方なくして、正しさだけに固執した価値観は争いを引き起こす。

ところで…もしもロシアのような独裁的な家庭だったなら、、、
正義は親の価値観でありひとつです。また正義を基にした価値観には揺るぎない信念があるので、それを守らない他者(子供)に対してはことごとく論破・改心すべく力が働く。時に強力な制裁を課すことをも厭いません。

その多くは善意から起きているから厄介。躾と謳(うた)えば子供は従うしかなく、また例えばネット記事への執拗な誹謗中傷をするのも、彼らの善意の戒めから起きていることは多いのです。

正義至上主義。そこでの価値観がいかに井の中の蛙であるのかは、その中にいるうちは気づけません。違和感やしんどさ・対人関係に支障がおき、鬱や閉じこもりを引き起こしたなら、むしろそれは正常な反応。カウンセリングのクライアント達には、こういうバックボーンを持つ人は多い。
また、そうなって暫くしてからでないと、このカラクリは気付きにくいのです。

いつの世も戦いの火種は正義論。正義を振り翳す論破合戦。
しかし、立ち場は違えど当事者の思いは同じ。正しいのはこちらで間違ってるのはそちら。だから交わることはなくその心は締め付けられるように苦しい。

終結に必要なのは互いの尊重。妥協ではない。

そして解決は離れること。

お互いを尊重するなら距離を持ちつつ相手を批判しないこと。

現実における戦争の終結は難しいけれど、自分の価値観の修正は可能です。それによって対人関係が自然な形になるのなら、上手くいかない原因や理由を辿る価値はある。

正義、心の内にあれば信念となるが、ひとたび外に向いた時、その正義は刃となる。

まさに諸刃の剣でる。

なぜならこの世に正義はひとつではないのだから。