自己責任論について

12月も半ばを過ぎました。ここからが早いんですよね。

世の中は良くも悪くも変化し続けてますね。皆さまはお変わりありませんか?マザーアースの浅野です。

今年も昨年に引き続きコロナに追われ、生活の変化を余儀なくされた方もいらっしゃると思います。私の身近な所でも幸も不幸も引きこもごもでした。

世の中を恨んでみても変わるものでもなし、それでも誰かのせいにしたくなる…そんな昨今の中から、今日は久々に記事を書いてみました。
よかったらお読みください。

自己責任論について

自己責任論が登場した背景にあったのは、自分のしたことの反省や謝罪がなく、責任を負おうとしない人達の姿があったことに他ならない。当然のことではあります。

だけどもその過程には、自分の私利私欲・好き勝手なことをした挙句の結末ということがあるんであって、何もしないうちから自己責任を教え込まれたら、それはもう落ち落ちと自由にやってみよう〜なんて発想はなくなる。

どうやら、こんな人が増えているように感じます。

初めから不安や心配に煽られ、結果に怯える。だから実体験は限りなく無いに等しい。
自分への肯定感はなく、あるのは正論に押し潰された思考停止の頭。

だもの動けない訳よ。
だものキレちゃうよ。
だもの壊れちゃうよ。

心がね。

これを自己責任だと言われても困っちゃうよね。

そもそも「やってみよう〜」がない。見守られ、教えられ、褒められ、叱られ、責任を持たれたことがない。これらこそが親とか養育者の仕事でしょ。

今の若者の親、そしてその親の世代には我慢を美徳とした協力と共同の理念から成長した時代がある。自分らが我慢して築いた物・金・精神を次世代に引き継ぎたいのは誠に結構。だけどさ、敬え・従え・はみ出るなでは人は育たないね。

やらせてやらなきゃ、支えてやらなきゃ、守ってやらなきゃ育たない。そうしてやらなきゃ、自己責任の意味なんて分からないよ。

教育って、教え育てるって書くけど、その中間にある「自由にやってみよう〜」という時間が、ない。「遊びの中から学ぶ」なんていう言葉もあったし確かに存在もしてたように思うんだけど、今は遊びすら型にはまってきた気もするよ。

自己責任論からズレちゃうかな。
でも大事なのは、自己責任なんて考えずに、笑えること楽しそうな方向に行ってみようってこと。無理してやってることを1度辞めてみようってこと。

その方がずっと自己責任に近づけるよ!