自分見つめに立ち塞がる自己否定の壁

皆さまこんにちは。静岡県沼津市にあるカウンセリング事務所「マザーアース」の浅野順子です。

いよいよ総理大臣が菅義偉氏に決まりましたね。色々なことが落ち着いた世の中になって欲しいものです。

さて、マザーアースホームページに「カウンセリングについて」のコンテンツを作りました。マザーアース開設時から24年が経ちましたが、世間では様々な人の様々なカウンセリングが増えたなぁと感じています。

それぞれの方のニーズにあったカウンセリングを、より気楽にご利用頂けるといいと思います。

今日は、マザーアース新規コンテンツの「カウンセリングについて」の中から、「自分見つめに立ち塞がる自己否定の壁」を当ブログにて載せておきます。両方合わせてご覧ください。

自分見つめに立ち塞がる自己否定の壁

当初、多くの方は、自分の状態や症状を、普通じゃない・恥ずかしいと認識しているので、治そう・克服しようとし、ある時点で行き詰まり、途方に暮れ絶望しています。

そんな中、自分を見つめろなんていう言葉は、どうにも怖くてたまらない。何故なら絶望している人にとっては、さらに反省しろ・頑張ってやれと言われるように感じてしまう。
これまでに嫌というほど味わってきた自分の劣意識を、更につきつけられる感じがして、更にダメな自分を実感してしまうからですね。

また上手く出来ない自分や、最後まで続かない自分にずっと嫌悪し、そういう自分を醜く汚いと思っているので、振り返るのは怖くて堪らない。

ずっと嫌ってきた自分が、やっぱり本当に救いようのないモンスターだったということが事実で、それを自分が受け入れなければならないと思えば思うほど、自分見つめは怖いと感じてしまうのですね。

あるのは自責の念…でもそれは自分を見つめることとは違うのですよ。

自分見つめの作業は、自分を変えたり評価するものではないので、頑張る必要も努力も要らないのですが、評価に敏感な方ほど自己否定感が強い傾向があるので、自分を見つめ始める当初では、そういう自分を卑下している自分、自己否定の壁が立ちはだかっていることに気づかされます。

さて、ここからどうやって進むのか?結論から言いますと、まるで自己否定の虜にでもなってしまったような自分像は、これまでの1人の世界で作り上げた虚像です。

中途半端・適当・雑・自分勝手…それら、人に許せても自分にはどうでしたか?

自己否定はしてきたけど、その奥の心はご存知ないのではないですかね?

自分を見つめることでそれらが分かるのです。