みなさんこんにちは。静岡県沼津市にある心理カウンセリング事務所「マザーアース」の浅野順子です。
テーブル上の飛沫防止パネルに加え、カウンセリングルームの換気扇が3ヶ月待ちでようやく届き設置しました。日々増加の傾向にあるコロナ感染者数ですが、皆さまどうか、どうか、ご自愛くださいね。
今日で7月も終わり梅雨明けが待ち遠しい静岡ですが、イラクでは気温51℃を記録したとか。中東は今世紀中頃までに気温が60℃に達すところがあるほか、2100年までには一部で人が住めなくなるかもしれないとも予測されているほどらしいです。もう常識はどこにも通用しないですね。
さて、今回の記事は「試される人間の本質(新型コロナウイルスから見えてくるもの)」です。
コロナウイルスの出現は私達人類にとって一体何を意味するのか。地球規模で見た蔓延の理由と個人に突きつけられる問題点を書いています。
“今の人類が選択している生き方だとこういう結果をもたらすよ”という問いかけに、私達は考え、気付き、選択して行かねばならないのかもしれませんね。
ではどうぞ。
試される人間の本質(新型コロナウイルスから見えてくるもの)
辞める・止める・変える、これが難しいらしい。また、間違えても認めないらしい。これが人間の人間たる人間らしさなのかも知れない。
そして、辞める・止める・変える、最終的にこれは覚悟の問題である。
覚悟する・腹を括るということ。それができることが素晴らしいとか優秀とかそういう話ではない。ただ腹を括れなければ終わらないということ。またそれは苦しみから解放される最前線での決断だということ。
話を昨今の事情に合わせてみます。
感染症の出現
今の世の中を見渡せばコロナ一色であることは言うまでもない。しかしコロナで全てが変わるのではなく、変わったのでもなく、それはキッカケ・分岐点に過ぎない。これまで水面下でくすぶっていた問題点が更に表出してきているということです。
そもそもウィルスの発生・感染症の伝播は、端的に言えば人間のツケ。そして決定的な要因は「経済」です。なんとも人間らしい欲望が生み出した必然です。
私たち人間にとって経済の発展は生きる喜びを味わえる大事なこと。ですがバランスを欠いた経済の発展が大きな、そして取り返しのつかない事態を招くのです。
環境破壊による温暖化、所得格差とインフラ、利便と利権の追求の陰で医療格差が生まれ見捨てられた人々、また研究予算の削減…それらカネにまつわる歪んだ世界の中で必然的に生まれた「環境」が、バイオテロリストとも呼ばれてしまう感染症を作り出し、じわじわと、しかも皮肉なことに伸び伸びと増加・伝播・蔓延する。そうして貧困も裕福もなく、人間のいるところ全てにパンデミックが起きるのです。
人間のエゴがウィルスや細菌に餌を与え、モンスターを作り上げる。終いには、たかをくくっていた人間がそのツケを払うことになるのですよ。
社会で起きていること
日本ではこれまで、直近で言えばエボラやSARS・MERSは対岸の火事であり、公衆衛生学においては先進国とは言えない。今回、韓国のドライブスルー形式のPCR検査に見られるような初期政策にも手際が悪く、それは未だに続いている。
専門家と呼ばれる人達による提言の中には、なんだか政府への忖度でもしてるのかと思う程の生温さがあり、曖昧な方向転換に人命第一とは思えないものを感じる。辞める・止める・変える、そして間違えたら認めて謝る。有事だからこそシンプル isベストなんじゃないですかね?
また社会では、DVや虐待は悪化し、パチンコ依存者は後先考えられず3密を作り、他の依存者は更に闇を深める。
心が怒りで飽和している人は誹謗中傷に拍車が掛かり、利権・権力で幅を効かせてきた人は更なる搾取と出し惜しみをする。
労働者はコロナ感染の危機の前に貧困の危機に晒される。
孤独は有事に対し耳を塞ぎ、当て付けのように捻くれ、強がる。
いずれも向き合う必要性がある人ほど、慢性的にある自分の問題がコロナを対岸の火事としてしまい、正しく怖がり正しく行動することを阻止している。
まさに個が抱える闇が如実に露呈して見えてきています。
感じること、思うこと
自分の問題から解決の道を見出せたり、この期に及んで逃げられるものならそれもよし。でもまさに今、誰にでも言えることは、自分の力ではどうしようもないパンデミックという事態がそこにあるということ。
自分の問題から目をそらし、更にはコロナ感染から目を背けていても、既に否応なく、この戦いに巻き込まれているということです。
この、ひとつの世界にいる以上、どれだけ富を掴んでも、どれほどの城壁を作っても、自分だけは安泰ということにはならないということ。経済の覇者が、敗者をそして弱者を嘲笑っている限り、この戦いは終わらない。自分さえ良ければいいという状況、或いは、自分は交じらないという閉じこもりでは、何の解決も出来ないということです。
TVから写し出される世界の映像からは、静かになった街や道路に、かつてそこが住まいだった動物たちが闊歩している姿がある。かつて彼らに試練を与えた人間は、目の前で自由に寝そべる彼らに何を言えるのだろう。
この世界は結局のところ、人間は他のあらゆる生き物と共存して生きる他なく、そして人間同士は助け合いの道を選択できるかどうかに掛かっているのではないのでしょうか。
経済の発展の陰で生まれたのがこれ(感染症)なら、今こそそれ(お金)を国民の為に使えってことでしょうよ。早急な経済活動の再開は、本質に目を向ける最後のチャンスを逃すことになる。
また、自分の苦悩で一杯の人は、自分に向き合うべし。薄々わかっていることなら、どのみち逃げられない。1番やるべきことは、自分イジメを辞めること、また、イジメてしまう自分を許すこと。
お金も気持ちも流すもの。そうして使うもの。
みんなで生きろ!
きっとシンプルな話なんでしょうね。
終わりに
このちっぽけな世界の中でNo.1になることが、この美しい地球を破滅に向かわせていることに気付かないなら、私たち地球人は、宇宙における最も野蛮な生き物としての刻印を押されることでしょう。
母なる地球の母体を食い尽くした後、我々はどう脱皮するのか、その精神性が試されているのではないでしょうか。
それにしても、経済と権力の回復のため、「本物の有事」がどこかの大統領から仕掛けられないことを願うのは、先走り過ぎていると思いたい。
約100年前の第一次世界大戦と、その最中に起きたスペイン風邪と呼ばれるインフルエンザから派生したパンデミック。化学は進歩しても、人間の本質はどの時代でも変わらないのか。
辞める・止める・変える、本当にこれが難しいらしい…